鹿児島県では知覧、出水、入来の武家屋敷群が有名で、その一つの薩摩川内市・入来町にある武家屋敷群を見てきました。
入来観光案内所にあるパンフレットには、「鎌倉時代、相模国の渋谷氏が地頭として入来へ入部し入来院と名乗る。清色城を築き居城とし、明治維新までこの地を統治した。この間に山城の麓に石垣、土塁を巡らした地頭館が築かれ、今日に受け継がれる麓集落が形成された。」とあります。
詳しくは、お仮屋馬場に建てられている案内文の次の説明を読んでください。
ここの石垣の特徴は、野石乱積みといって、一つの石を中心に6~8個の玉石が囲むように積まれている事です。
石垣の町並みはこんな感じです。
観光案内所を出て、まず、清色城に向かいます。山城の麓に武家屋敷群があります。
途中のお仮屋馬場、ここで乗馬のけいこをしたり、兵達が集まったのでしょうね。この上は入来小学校。すごく立派な小学校でした。
清色城跡です。屋根の後ろが城への入り口。山城なので、敵に攻められない様、入口は狭く、途中の道は険しく作られています。
入口の堀切。
入ると狭い急な坂になっています。台風のあとで、道も悪く、途中で引き返してしまいました。若いころはもっと頑張ったのですが・・。
次に、旧増田家住宅に向かいます。途中にある三十三観音塔です。1527年に建てられた、入来院家一族33名の生前供養塔です。
赤城神社。入来郷の産土神として尊崇されました。
左にあるのが六地蔵塔。
入口から見た、旧増田家住宅。右が母屋、左が三階建ての石蔵。ここでは中を説明してくださる方がいて、丁寧に案内して頂きました。
正面から見た母屋。薩摩藩の武家住宅は、おもて(右)となかえ(左)から構成されています。両建屋の間には、竹でできた樋が渡されていて、雨水はここを通って手前側に流れてきます。
おもては、接客空間として使用され、座敷、次の間、内座、納戸から構成されています。写真は座敷。
なかえは、食堂兼居間として使う部屋と調理する土間から構成されています。囲炉裏が見えます。奥がおもてで、なかえより必ず一段高くなっています。
調度品もたくさん飾られていました。これはその一つ。
風呂場とトイレのある別棟。この時代なので、お風呂は五右衛門風呂、トイレはもちろん和式。特筆するのは、便器が二つあり、奥の方は来客用で青磁製、手前は一般用ですが有田焼との事でした。すごい。
石蔵と案内して頂いた方。
増田家は眼科医院で、当時の眼科の道具が展示されていました。左はレンズ一式で、これでメガネをあつらえたのでしょう。つい最近まであった記憶があります。
敷地内にあるいぼ地蔵。結構御利益があるそうです。お賽銭を50円あげてきました。
こちらはトイレ。観光案内所の方に聞くと、ここのトイレが一番きれいですよとの事でした。
次に向かったのが、中世渋谷家(入来院家)の様式を今に伝えるかやぶき門です。
見事な石垣と生垣が続いています。
最後に、漆喰蔵土蔵です。ちょっと手入れがされてませんね。残念。
▼さて、アクセスですが、国道328号を行くとこんな標識があるのですぐわかります。英語で Samurai Residences というのですね。
まず、入来観光案内所を訪ねます。ここでもすごく丁寧にいろいろなことを教えてくれました。駐車場は、現在(2018年10月)拡張工事中で、近くに臨時駐車場がありました。
案内所でいただいたマップの一部を掲載します。本文もこの案内書からいろいろ引用さしていただきました。