旧島津氏玉里邸庭園は、島津氏第27代当主・斉興(なりおき)によって、天保6(1835)年に築庭された大名庭園です。旧邸宅書院からの観賞を意図して作られた「上御庭(亀の池)」と池周辺を歩きながら庭園全体を観賞できる「下御庭(鶴の池)」という二つの庭園からなり、江戸時代末期の庭園の様子がうかがえます(玉里邸庭園パンフレットから)。▲このうち公開されているのは「下御庭(鶴の池)」だけです。「上御庭(亀の池)」の方は、現在隣接する女子高の敷地にあり、年に数回だけ公開されているそうです(詳しくは tamazatotei-teien.jp をご覧ください)。
現在の正面入り口、黒門。島津久光死去に伴い、明治20(1887)年に作られました。
玉里邸庭園の案内図。
ここから入ると庭園の向こうに茶室が見えます。この茶室は一般の方も利用することができます。半日利用で 2,400円、一日利用で 4,800円(2018年8月時点)だから安いと思います。私が行った日は結婚式が行われていました。
この庭園にはいろいろな灯篭が配置されています。上の写真にもある灯篭の隣には「巨石(礎石)」、縦・横およそ3.5m、高さ3m があります。
これは「水道高桝」。玉里邸の東方540mにある湧水から石管をつないで引いてきた水道の出口です。
タイザンボクの巨木。
明治12(1879)年に再建された書院造りの茶室。
茶室から見た庭園です。いろいろなところに配置された灯篭に灯がともっているところを散策したり、茶をたてて飲んだり、風情があります。(つまらない感想ですが、焼酎飲みながらてのもありでしょうかね。)
現在一般公開されていない、「上御庭」は女子高とのフェンス越しに見るとこんな感じでした。池やら灯篭などが遠めに見えました。
また、10台くらいのスペースの駐車場が黒門の道を挟んだところにあります。
ところで余談ですが、島津斉興と斉彬とのお家騒動・お由羅騒動の一方の当事者、由羅さんの「由羅屋敷」も、100mくらい離れたすぐ近くにあります。史跡にもなっていないので、何の標識等ありませんが、伊敷病院の駐車場の看板をのぼっていくと見つかります。
現在、由羅屋敷は個人宅になっているので、写真をアップできませんが、Google map を見ると位置を確かめることができます。
その当時の庭園は残っています。事故等無いようにネットがかけられていますが、灯篭や石橋もあり、何となく面影を感じることはできます。